自由が丘商店街振興組合は12月20日、黒柳徹子さんのベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」の舞台となった母校・トモエ学園小学校の跡地に立つ記念碑について、同組合が今後管理者として維持・管理していくことを発表した。
1988年4月24日に行われた記念碑除幕式には、黒柳徹子さんをはじめ卒業生らが参加(写真提供:自由が丘商店街振興組合)
同校の前身、自由ケ丘学園は1928(昭和3)年、子どもの個性を重んじる自由教育を唱えた教育者、手塚岸衛が私財を投じて創設。ところが、1937(昭和11)年、手塚が逝去。経営危機に見舞われた同学園を、リトミック教育の第一人者、小林宗作が「トモエ学園」として再出発させた。
黒柳さんが1981(昭和56)年に出版した自伝的著書「窓ぎわのトットちゃん」でつづられているトモエ学園は、中古の電車車両を6台並べた教室に、児童数も50人足らず。障がいを持った子も一緒に学ぶという当時としては珍しい学校で、著書では以前の小学校を退学になったトットちゃんがここで経験したさまざまな思い出が生き生きと描かれている。
そんなトモエ学園だが、1945(昭和20)年に東京大空襲で消失。両学園の跡地は現在、スーパー「ピーコックストア自由が丘店」(目黒区自由が丘2)となっており、同店を運営する大丸ピーコック(当時)が道路に面した店頭の土地を記念碑建設地として無償提供。両校同窓生らの寄付金によって1988(昭和63)年、記念碑が建立された。
記念碑の碑文には、自由が丘の地名が「自由ケ丘学園」に由来すること、手塚と小林がこの地で新しい教育を行ったことなどが刻まれ、黒柳さん直筆の手紙などを納めたタイムカプセルも埋められているという。
これまで記念碑の維持・管理は同窓生によって行われてきたが、記念碑実現に尽力したトモエ学園小学校同窓会代表・木村昭太郎さん逝去に伴い、両学園同窓生らの総意に基づいて同組合が引き継ぐこととなった。10月23日、木村さんの代理人として娘の佐藤尚代さんが同組合を訪れ、「多くの思いがこもった記念碑が末長くあるよう、お使いいただきたい」と同窓会が管理してきた寄付金を同組合に託した。
同組合の原武理事長は「トモエ学園は自由が丘の原点。その後の街の発展だけでなく、世の中に多くの著名人を輩出した。その記念碑を管理することになり、大変光栄に思うと同時に責任の重さも感じている。多くの方に訪れていただけたら」と話す。同組合は今後、記念碑を文化遺産として多くの人に認知してもらえるようイベント開催や広報活動などを視野に入れているという。