昭和の洋画家が描いた「戦前・戦中・戦後」-奥沢・宮本三郎記念美術館で

宮本三郎「飢渇」
(1943年、宮本三郎記念美術館蔵)

宮本三郎「飢渇」 (1943年、宮本三郎記念美術館蔵)

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 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館(世田谷区奥沢5、TEL 03-5483-3836)で現在、「宮本三郎 1940-1945」が開催されている。  

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 同展は、戦争記録画として当時最高傑作と言われた「山下・パーシバル両司令官会見図」(1942年)を描いた洋画家・宮本三郎(1905~1974)の1940年から1945年の作品を軸に、戦前のヨーロッパ滞在期、戦後の荒廃期の作品と併せて、激動と混迷の時代を描いた宮本の足跡をたどる計80点を展示する

 展示は、30歳前後から画家として多忙を極めていた宮本が休養を兼ねてフランスやイタリア、スイスなどを外遊した「ヨーロッパでの日々 1938年10月-1939年12月」、第二次世界大戦勃発で帰国後、陸軍省から嘱託を受けて従軍画家として戦争記録画制作のため中国やマレー半島、タイなどを巡った「戦時下での日々 1940年9月-1944年8月」、健康上の理由から従軍を辞退後、故郷・石川県で家族と共に暮らした「疎開生活、そして戦禍のあとに 1944年8月-」の3期で構成する。

 展示作品の中には、宮本の名を世に知らしめた戦争記録画「山下・パーシバル両司令官会見図」「香港ニコルソン附近の激戦」の油彩画下絵なども含まれている。

 「当時は『撃ちてし止まむ』の標語のもと、戦時下を生きた日本人の画家にとってその日々は平坦ではなかったはず。さらに現在もなお議論の続く『戦争記録画』にまつわる責任論は、画家の人生と分かち難い課題となった。作品の存在そのものが、当時の国家と人心のありさまを否応なく語り続けている」(同館)。

 戦後の作品では、荒廃した社会の中で悩みながら描くべきものを探し求め、自身の家族の日常生活を描いたものなどが見られるようになる。「宮本が率先して戦争記録画を描いたわけではないことは、戦前そして戦後の作品を見ていただければわかるはず。激動と混迷の時代に飲み込まれて残した作品の数々を、多くの方に見ていただければ」。

 期間中は、宮本や藤田嗣治、伊藤深水らが描いた戦争画集「航空美術」(1942年、大日本航空美術協会)現物A4サイズ・計40点なども併設展示する。

 開館時間は10時~18時。月曜定休。観覧料は一般200円。11月28日まで。

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